頑張れジャピーノ


野田出身・中野選手 柔道フィリピン代表に

2016年08月07日
東日本大震災で被災した野田村の出身で、日本人の父とフィリピン人の母を持つ中野亨道こうどうさん(23)が、リオデジャネイロ五輪の柔道男子81キロ級にフィリピン代表として出場する。イランの選手が出場を辞退し、急きょ繰り上げで出場資格を得た。9日の試合を前に、中野さんは「被災地の子供にチャンスは誰にも訪れることを伝えたい」と活躍を誓う。(高橋学、五島彰人)
「選手リストに入った。リオへ飛んでくれ」。3日朝、フィリピン柔道連盟から突然、東京都内にいた中野さんに連絡が入った。急いで航空券を手に入れ、4日に成田空港をたった。

祖父や父の影響で小学3年から野田村の柔道場に通い始めた。野田中、久慈東高、清和大(千葉県)で柔道を続け、現在は横浜国立大大学院で教育学を研究しながら、稽古に励んでいる。

フィリピン代表になる転機がきたのは高校2年。休暇で訪れたフィリピンの道場で代表チームの監督と出会い、誘われた。「生まれながらに持ったチャンスを生かせ」。高校の恩師らの言葉に背中を押された。

しかし、大学進学前に起きた震災の津波で自宅は全壊。高校まで通った柔道場も流された。2013年にはフィリピンが台風30号に襲われ、母の実家も被災した。二つの故郷が心配で練習に身が入らないこともあった。試合で結果が出ないときは、「勝者とは勝ち続ける者ではなく、挑み続ける者だ」と信じ、五輪出場を目指して国際大会に出場してきた。

今年3月にフィリピンの五輪選手候補となったが、6月に公表された選手リストには入らなかった。「お世話になった人に顔向けできない」。現役引退も考えたが、夢の舞台への扉が思いがけない形で開いた。

久慈東高で指導した高野敦志さん(43)は「気持ちを切らさずに粘り強く頑張った」と努力をたたえる。野田村の柔道場で教えた岩山勝行さん(55)は「五輪出場は子供たちの大きな励みになる。思い切り戦ってほしい」と期待する。

中野さんは5日、リオの選手村に到着した。「周囲の支えがなければ今の自分はなかった。日本とフィリピンの被災地の子供たちに希望を与えられたらうれしい」と決意を新たにした。

2016年08月07日 Copyright © The Yomiuri Shimbun

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