トリプル バックフリップ 空中3回転


幼き頃の思い出

フィリピンファンには、面白く無い話なのだが、凄いコトを成し遂げた人がいるのだ。

幼い頃にBMX等の特殊自転車を見て、稲妻が走り脳天を直撃した思いがあるのだ。

両親が4歳位の時に離婚して、昭和9年生まれの母親一人に育てられていたのだ。

母親は良家の出なので、離婚後も市営住宅など公営住宅に住むのを嫌い市営住宅よりも小汚い2軒長屋に住んでいたのだ。風呂もトイレも共同ではないが外にあったのだ。でも一般のフィリピン人が住んでる所よりは、数段に奇麗で清潔的なのだ。そう考えたらフィリピンって凄いなと思うのは僕だけでないと思うのだ。

当時の母の事務員の仕事でよく育ててくれたとサルが現在家庭を持ちに成って痛感するのだ。

その貧しい育ちの中でも人間関係お金関係に対してヒガミもなくどん欲もなく育ててくれて今も感謝してるのだ。

この年に成って育ちと言う事の差別に対して初めて解ったのだ。まだまだ人間未熟だったのだ。

歴史はある面で怖いのも事実なので、日本国の近くの国が歴史を捏造するそしてその国民性は親から自然に伝わる。ここフィリピンもずっと伝わってきてるものが有るそれは気にした事もないのだがきっと有ると思うのだ。なんなのだろうか?

幼き思い出の前置きはさておいて、そうしてもBMXをしたくてたまらなかったのだ。母親に買ってくれと買ってくれない事を分かっていても言った覚えがあるのだ。

そこで、僕の当時の愛車ブリジストン製の20インチのミニサイクルを外せるものは全て外して自分の世界ではBMXを作ったのだ。当時は、26インチで5段変速が当たり前に頃だったのだが、うちの家は経済的に高価な自転車が買えなかったのだ、だから20インチなのだ。それでも当時は、イジメなど無い世代だったのだ。サルとしては自転車が有るだけでもそれで嬉しかったのだ。母親と自転車屋に行った時に値札を見て倍以上する自転車は、買えないのが分かっていたからなのだ。うちの母親それでも中古は買わなかったのだ。今もその生き方が僕に染み付いてるのだ。それは猿の子にも伝わっているのだ、誰が入ったか知らないが「血は水よりも濃い」なのだ。余談あんですが、「血は水よりも濃い」は、中国とか日本のコトワザじゃなかったみたいです。元々は、Blood is thicker than water
みたいです。でも、これぞ日本的と思う言葉なのですが、分からないものなのだ。

中学生1年生の冬の事だと思うがあいまいな記憶なのだ。BMXってオフロードだと言う事は分かってるのだが、競技が有るのも知らないのだ。近くの裏山の遊歩道を乗り回していただけなのだ。その頃に滑り完成が開花したのだ。元々自転車での滑り感性は小学校でも多分1番だった様な思いがる。小学校の運動場で、ブレーキラインの長さを競う遊びをした時に、誰の自転車に乗ってもサルが1番長くブレーキラインを運動場に引けたのだ。

その後始めてBMXの競技のことを知り、貧しい家庭ではできない事を知ったのだ。ハイ、諦めが肝心なのだ。

そうここフィリピンも無い物ねだりは御法度なのだ。その事を理解して、フィリピンでビジネス、長期滞在そして永住を考えるのだ。そうすれば、自然に幸せがやって来るのだ。深い追いは禁物さっと引くのが良いのだ。触らぬ神に祟りなし、地雷を踏んだのであれば、地雷処理班を呼ぶしか無いのだ。

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